事例203:びまん性軸索損傷、脊髄損傷などの重傷を負った家族のために、裁判で戦う。

通勤途中のDさん(20代)が青信号に従いバイクを発進させたところ、Dさんの進行道路と交差する道路から、赤信号を無視した自動車が猛スピードで交差点に飛び込んで来ました。Dさんは、自動車を避ける間もなく衝突され、数メートル飛ばされて地面に叩きつけられました。

救急搬送されたDさんですが、意識が戻らず、駆けつけた家族や、結婚を前提にDさんと一緒に暮らしていた婚約者のTさんに医師が告げた言葉は、「頭蓋骨骨折、びまん性軸索損傷、脊髄損傷、内蔵損傷等があり、両下肢不全麻痺が出ている。下肢を切断する可能性もある。胸から下は、99.9%動かない。」という、あまりにも残酷なものでした。
しかし、家族もTさんも、決して諦めませんでした。精神的・肉体的疲労が重なり、食事も摂れず倒れそうになりながら、それでもDさんの覚醒を願って、毎日2回、来る日も来る日も見舞い続けました。
そんな強い願いが通じたのか、事故から1ケ月が経過した頃、ようやくDさんが目を覚ましました。しかし、びまん性軸索損傷の影響で、Dさんは事故前後の記憶がないばかりか、文字を書いたり計算をしたりする能力が、事故前に比べて格段に低下していました。また、脊髄損傷による麻痺のため、日常の起居動作は困難を極めました。

ここから、長く厳しいリハビリが始まります。医師が99.9%と判断した残りの0.1%が、Dさんや家族、そしてTさんの、一縷の希望でした。入院先でリハビリに励むDさんを、時に励まし、時に一緒に涙を流しながら、Dさん・家族・Tさんは、一丸となって取り組みました。
このような状態のDさんは、当然仕事に復帰することもできません。そういった場合、加害者側保険会社からは、休業損害が支払われます。しかし、事故直後は定期的に振り込まれていた休業損害も、事故から年数が経つにつれて、支払いが遅れたり、払い渋ったりするようになりました。Tさんは、将来に強い不安を覚え、サリュを訪れました。

サリュでは、多岐に渡るDさんの負傷箇所と症状を整理すると同時に、通院先やリハビリ先で医師面談を行い、現在及び将来のDさんの症状の見通し等について、医学的知識を得ました。その上で後遺障害の等級申請を行い、高次脳機能障害及び脊髄損傷後の各症状等を理由に、併合2級を獲得しました。
その上で、加害者に対して訴訟を起こしました。
訴訟の中では、過失割合が争点の1つになりました。Dさんに事故時の記憶がないのを良いことに、加害者は、警察や検察の取り調べの際に、Dさんが赤信号で交差点に進入したかのような供述を行っており、Dさんに不利な記録を元に、加害者の刑事裁判が終わっていました。そこでサリュでは、刑事記録を取り寄せて丹念に検証し、目撃者の供述調書等から、加害者が自己弁護に走り、嘘の供述をしていると主張しました。
また、通常であれば、訴訟では双方の弁護士が法廷で書面のやりとりをしますが、裁判所の判断もあり、今回は訴訟の途中で、すでにDさんの妻になっていたTさんが、裁判官や加害者側弁護士に、今までの経過や、Tさん・Dさん・家族の想いを話す場が設けられました。
裁判官も、今までTさんが背負ってきた様々なものに感じるところがあったのか、最終的に、自賠責からの賠償金を含めて2億円での和解が成立しました。

今回の依頼を通して、サリュは約4年半に渡って、Dさん、そしてTさんの人生を、伴走者として共に歩む機会を与えられました。もがきながらも前に進もうとするDさんとTさんを、サリュが支え、2人のために絶対に良い結果を残そうと、強く思いながら過ごした4年半でした。打ち合わせの度に涙を流すTさんの姿が印象的であったため、裁判が終了し、最後にご挨拶をした際、DさんとTさんが、「これで区切りが付けられたので、前向きに生きて行きます。」と、笑顔を見せて下さったことに、サリュ一同、本当に嬉しく感じました。
怪我の軽重を問わず、大切な家族が交通事故に遭ったときの周囲の心労は、とても大きなものです。いわんや、生死の境を彷徨ったり、重度の後遺障害が残るような怪我の場合には、生きた心地もしないでしょう。
被害者ご本人はもちろん、ご家族の苦しみを少しでも軽減し、より良い将来を示せるように、サリュは今日も全力で取り組んでいます。

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